お茶の大和 年中行事年中行事 識非常 の野菜 を楽しむ と行事

四季年中行事 新 春 新茶情報 お中元 年末年始 暦と行事 商 品
 行事 節分節分 たんぽぽ 日差しを浴びてウォーキング陰暦 一月 初春 ・ 二月 仲春 ・ 三月 晩春
節 分  立春の前日が節分。古代中国では立春、立夏、立秋、立冬の前日に悪鬼邪鬼を追い払う“儺(おにやらい)”という行事を行っていました。この行事が日本に入り、定着したのが節分で、“追儺(ついな)”“鬼儺(おにやらい)”と呼んでいました。日本最初の節分行事“追儺”は、706年朝廷が、疫鬼退散を祈って行われたそうです。この時代以降室町時代あたりまでは、12月の大晦日に行っていました。また豆を投げる風習も無く、中国流に、桃の弓、葦の箭(や)、桃の杖を用いて鬼を追い払ったといいます。
 「福は内、鬼は外」と唱えながら炒り豆をまく習慣は、南北朝から。豆(大豆)を炒るという行為自体にまじないの意味があり、昔は各家庭で豆を炒ってまきました。
 
初 午
 
稲荷神社の祭礼日 京都伏見稲荷の祭神 倉稲魂神(うがのみたまのみこと)が降臨したところから、この行事が始まったとされています。
 稲荷神が狐と結びついたのは仏教の影響で、狐を使い魔とし、乗り物ともしているインドの荼枳尼天(だきにてん)が姿を変えて日本に現れたものが稲荷だという信仰が広められた結果と考えられています。
 
針供養
 
浅草に、婦人病に霊験あらたかとされる淡島社があります。この神様のもとに、一年間使ってさびたり折れ曲がったりした針を持ち寄り、針の供養と裁縫の上達を願ったのが、針供養で19世紀に広まった比較的新しい年中行事です。(関西地方では12月8日)
 
建国記念日
 
神武天皇が即位したとされる2月11日。その日を建国の日として国民の祝日に決めたのが明治5年で、戦前までは、“紀元節”と称し、国をあげて祝っていました。戦後紀元節は廃止されましたが、昭和41年に建国記念の日として祝日に組み入れられました。
 
雛 祭
 
女の子の節供として今日でも盛んに祝われているひな祭は、もともとは疫病などの災いから逃れるために神に供物を捧げ、除災のまじないなどを行う悪日の儀式でした。中国では、水辺で祓いの行事を行い、自分の身代わりになる“人形”にけがれを移して川に流しました。

 雛人形のおこり
  •  中国から日本に入った“上巳の節供”に用いられる人形は、平安時代には、“かたしろ”とか“なでもの”と呼ばれていました。“かたしろ”は形代で身代わり人形のこと、“なでもの”は、、この人形で体をなでさすり、身についたけがれを乗り移させるところから生まれた呼び名です。
  •  一方、この形代とは別に“ひいな”と呼ばれる紙製の玩具人形があり、このひいなに種々の供え物を飾って遊ぶのが、“ひいな遊び”で、美しい衣装を着せて飾りたてたひいなを見せ合い出来ばえを競う遊びが、“ひいな合せ”です。平安貴族の遊びで、上巳の節供とは無関係に行われていました。
  •  
  •  この上巳の節供と“ひいな遊び”が、混同されて、16世紀には、3月3日の節供が、ひなを飾って祝う日とされるようになり、今日に至ったというわけです。
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  •  素朴な紙人形だったものが、今日見られるような豪華なものに作り上げたのは、江戸っ子だそうです。
  •  
お彼岸(おひがん)
 
春分の日を中日とする一週間の先祖供養期間。仏教では《彼岸会》といい法要を営む。ぼたもちやおはぎなどを作って先祖のお墓参りをするお彼岸の行事は、非常に古くから行われていた日本の代表的な年中行事の一つです。春と秋の年二回行います。いずれも期間は一週間で、真ん中の日を中日(ちゅうにち)と呼び、春分・秋分の日が中日にあたるように行事を行います。
  • 彼岸会

     彼岸とは仏教用語で、“向こう岸”を意味し、煩悩を離れた永遠の安住の地を指します。浄土の教えが盛んになってくると、この彼岸は西方にあるという信仰が広まり(西方極楽浄土)、そこへの生まれ変わりを願って念仏が大いに行われるようになりました。そして極楽のあるとされる真西に太陽が沈む春分や秋分の前後を、特に彼岸に渡るための修行や、先祖供養を行う期間と定めたのです。
電気記念日
3月25日
 わが国で始めて電灯がともされたのが、明治11年のこの日。場所は、東京虎ノ門の工部大学校内。電源は、グローブ電池で、発光器はアーク灯が用いられました。これを記念して、昭和2年から3月25日を電気記念日と定められました。

エイプリルフール

 4月1日の午前中は、社会秩序を乱さない程度の嘘ならついても良いとする欧米の風習。18世紀ごろから始まったとされていますが、その期限には諸説あり、どれが本当なのか判断はつきません。日本に入ってきたのは江戸時代。“不義理の日”と訳されました。エイプリルフールといわれるようになったのは、大正以降とされています。

  1. キリスト命日説。ユダの裏切りでキリストははりつけになりますが、このユダの嘘を忘れないため
  2. シャルル9世が新暦を採用(1564年)し、それまで3月25日だった正月を1月1日に変更。これに反発した旧教徒が、かっての正月祭(3月25日から4月1日まで)期間に昔流の儀式などを行ってふざけたのが4月馬鹿の期限
  3. インド仏教徒が、苦行後、並の人間に戻ってしまわないように戒めるための“揶揄節(やゆ)”を起源とする説
図書館記念日
4月2日
!? 4月30日!?

 
わが国の公共図書館第1号は、“芸帝(うんてい)”で奈良時代末。以後、“金沢文庫”や“紅葉山文庫”など、さまざまな図書館が作られてきましたが、一般人の利用できる図書館となると、明治5年4月2日設立の“東京書籍館(しょじゃくかん)”が初めてでしょう。この書籍館設立を記念したのが、図書館記念日です。同館は、のちに東京図書館、帝国図書館、上野図書館と改称し、今日では国会図書館の支部となっています。(五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用) ⇒二説
 
発明の日  明治18年4月18日に、“専売特許条例”が公布されたのを記念してもうけられた記念日です。
郵政記念日
 
わが国に始めて郵便制度がしかれたのが、旧暦明治4年3月1日。この日は新暦4月20日(郵便週間)にあたるところから、昭和9年以降、4月20日を逓信記念日としました。⇒逓信記念日
 
昭和の日
 
平成19年に制定された祝日で、日付は昭和天皇の誕生日である4月29日があてられている。同法ではその趣旨を、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。⇒ウィキペディアより
 
参考資料 五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用させてもらいました
   行事新茶の里 風鈴 気球 陰暦 四月 初夏 ・ 五月 仲夏 ・ 六月 晩夏
日本赤十字社
創立記念日
五月一日
 明治10年5月1日のこの日、西南戦争の惨状に接した佐野常民が、有栖川宮に博愛者(赤十字社の前身)設立の請願書を出しました。明治19年に日本がジュネーブ条約に参加した翌年、博愛社は日本赤十字社と改称。今日に至っています。【世界赤十字デー(5月8日)】
メーデー
五月一日

八時間労働獲得が、メーデーの起こり。日本では大正9年から行われていた。

 May Dayは元来は5月1日に行われるイギリスの“花祭”のことでした。1886年のこの日、アメリカの労働者が全国ストライキにより8時間労働を勝ち取ったことを記念し、1889年の第2インターナショナル創立大会で世界の労働者の国際的連帯を強める日と定めたことで、この日が労働者の祭典の日となったのです。 日本では明治38年(1905)に平民社が茶話会という形で集会を行ったのが初めてで、大正9年上野での一万人集会をもって第1回メーデーとしています。 

八十八夜新茶初摘み
五月二日(閏年五月一日)

八十八夜(はちじゅうはちや)は雑節の一つで、立春を起算日(第1日目)として88日目の日

「八十八夜の別れ霜」 晩霜に注意しましょう!?

 「夏も近づく八十八夜・・・♪」 茶摘みを歌った唱歌から、八十八夜に全国の新茶が収穫されると思っている方が多いかもしれませんが、実際には産地の気象条件(温暖差)によって茶摘みの最盛期は異なります。

憲法記念日
五月三日

国民の祝日の一つ

新憲法が施行された昭和22年5月3日を記念して制定されました。(憲法発布は、昭和21年11月3日)この日を含む5月1日から7日迄の期間を”憲法週間”とし、法務省などを中心に、関連行事を行っています。

みどりの日
五月四日
 日本の国民の祝日の一つである。日付は5月4日。1989年(平成元年)から2006年(平成18年)までは4月29日であった。国民の祝日に関する法律(祝日法)2条によれば、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としている。⇒ウィキペディア
端午の節供
五月五日

もとは女児の節供。やがて武家社会内で男児の節供に代わっていった。

 日本の伝統的な行事、端午の節供も、ひな祭り同様中国から渡ってきた風俗が日本流に作り変えられて盛んになった行事のひとつです。
 古代中国では5月のことを“無月(不吉な月、危険な月)”と称し、中でも5月5日を、“悪日”として災厄を祓うための様々な行事を行っていました。蓬(よもぎ)で人形(ひとがた)を作って門戸上に貼りつけ、毒気を祓ったり、魔よけの力があると信じられた菖蒲で船を作って競漕をしたり、薬草つみを行う行事です。
 いつごろ日本に入ってきたかは定かではありませんが、7世紀初頭には宮中の年中行事に組み込まれていたことは確かです。邪気を祓うとされる蓬や菖蒲をつむ“薬猟”という行事のことが『日本書紀』推古天皇のくだりに見えますし、菖蒲で軒をふいたり、身につけるなども行われていました。
 『枕草子』などでは、こうした5月の節供の様子が、のどかに描かれていますし、他にも「めでたい」などの表現が見られることから、このころには邪気払いという観念は薄れていたかとも思われますが、反面、この日のことを“御霊会(ゴリョウエ)”と呼ぶ地方が戦後もあったことから、民間ではむしろ根強く邪気・悪霊祓いの日との記憶が続いていたとも思われます。(御霊とは怨みをいだいて死んでいった人物の怨霊のこと。代表は菅原道真で、数々のたたりをなしたので天神としてまつりあげ、慰霊した。)
 

母の日
五月第二日曜日


ウィキペディア

 アメリカで始められた習慣。1907年、アメリカの一少女が母の命日に偲ぶ会を催し、その霊前に白いカーネーションの花束を捧げました。白いカーネーションは母の愛情。そこから、この日、亡くなった母に対しては白いカーネーション、生きている母には赤いカーネーションをプレゼントし、日ごろの恩愛に感謝する風習が生まれたものです。

五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方より

電波の日
六月一日

 
昭和25年(1950年)に電波法、放送法及び電波監理委員会設置法が施行された昭和25年6月1日を記念して制定されました。この日から、電波は広く国民に開放され、民法放送が続々とスタートしました。

時の記念日
六月十日

 わが国初の時計使用は、671年4月25日。『日本書紀』天智天皇10年のくだりで、初めて漏刻(ロウコク)《水時計》が、用いられたと記述されています。この4月25日を現行の暦に直すと6月10日にあたることから、この日を“時の記念日”と定めました。

入 梅
六月十一日ころ
出 梅
“小暑”の後の最初の壬
 
入梅雑節の一つで、太陽が黄経80度の点を通過する日。毎年6月11日頃。古くは芒種の後の最初の壬の日を梅雨入り、小暑の後の最初の壬の日を梅雨明け【小暑後の壬(みずのえ)の日とする説と、夏至以降の庚(かのえ)の日とする説】としていた。

NPO PLANTA TREE PLANT LOVE  雑節(岡田芳朗 文化女子大学教授、暦の会会長)

貿易記念日
六月二十八日

 
江戸幕府が鎖国政策から開国に転じ、米英仏露蘭の5ヶ国との通商の為、函館・横浜・長崎の三港開放を布告したのが安政6年(1859)5月28日。この日を新暦に換算し、記念日としたもので、昭和38年から実施されています。
 
国民安全の日
七月一日

 
7月1日から一週間は“全国安全週間”です。生活・職場環境内の安全確保・推進を目的とするこの週間は、昭和3年からスタート。その初日が国民安全の日と定められたのは昭和35年でした。

運動推進の母体は財団法人全国安全会議中央労働災害防止協会

ユネスコ
加盟記念日

七月二日

 
日本ユネスコ(国連教育科学文化機構)に加盟したのは昭和26年7月2日。これを記念して設けられた。 ユネスコは『正義、法の支配、国連憲章によって人種・性・言語または宗教の区別なく、世界の人々の為に確認された人種と基本的自由の普遍的尊重を助成するために、教育・科学・文化を通じて諸国民間に協力を促し、もって平和と安全に寄与する』のが目的
 
お 盆
七月十三日~十六日
 →

日本古来の“祖霊まつり”と“盂蘭盆会”が習合してできた

 7月13日から16日までの四日間、祖霊を迎え、まつり、送り返す行事を “お盆” “盂蘭盆会” “魂まつり” “精霊会”等といいます。今日では仏教行事中に吸収され、しかも“盂蘭盆”という呼称自体が仏教の「盂蘭盆経」からきていることから、仏教とともに日本に入ってきた風習と勘違いされていますが、元々は日本固有の祖霊信仰から発しています。

祖霊祭りとしての七夕

民間の七夕行事には、盆行事と通じるものが多く見出されることは、早くから民俗学の分野で注目されていました。
  •  七夕を先祖迎え――すなわち盆行事のはじまりの祓いの期間とみる意見があります。七夕に雨が降らないと疫病神が生まれる、不作になるなどといって、一粒でもいいから降ることを願う習慣が各地に残っています。これも後にひかえる祖霊まつり(お盆)に入るにあたっての“清めの雨”との信仰から導き出されたものと考えられています。 (旧暦で考えるとわかりやすいと思います)

日本古来の祖霊信仰では祖霊が地獄や餓鬼道で責苦にあっているなどという観念はありませんでした。 

中 元 お中元
七月十五日
 道教では、1年を三つに区切り、その最初の日に太乙(タイオツ)という最高神をまつり、自らの罪をあがなう行事を行っていました。この三つの区切りとは、、1月15日の“上元”7月15日の“中元”、10月15日の“下元”です。(上元、中元、下元の三元は、人体の上部、中部、下部を司る神の意もある)。
 これが日本に入ってくると、贖罪の日という観念は薄れ、上元は小正月に中元は盂蘭盆会に吸収され、節日の一つになりました。そして上元、下元はいつの間にか忘れ去られ、中元だけがお盆の贈答という形で今日に生き残ったのです。
 中元を贈る期間は七月初めからお盆の前までとするのが習わしです。これは中元の贈り物が本来は祖霊への供え物だったことによります。
薮入り
一月十六日・七月十六日
 かって奉公に出ていた丁稚など奉公人が、公休日として故郷に戻ることを許された日。薮入りという言葉自体は忘れ去られても、お盆に里帰りする習慣は残っています。
 
参考資料 五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用させてもらいました。
 行事 お月見 紅葉 陰暦 七月 初秋 ・ 八月 仲秋 ・ 九月 晩秋
七 夕
07月07日
(旧暦で考えると?)
 日本古来の民間信仰に中国の星祭が重なって出来た年中行事です。“七夕”は、七日の夜の星祭の意味。たなばたは、“棚機”で、織機のこと。神が降臨する棚(祭壇の古い形態)に捧げ置いておく神の“御衣(みそ)”を織る機(はた)を意味します。この御衣を織るのが巫女で、別名“棚機之女(たなばたつめ)”というそうです。

 この日は、『教書および衣装を曝す』“曝涼(虫干し)”の日とされ、また収穫物を神に捧げる“中元”の日としても意識されていたようです。これらのことから七夕の行事は、たんなる星祭として受け入れられたのではなく、夏から秋へという季節の移り変わりの節目として、農事上生活上、重要な意味を負わされていたことがうかがえます。

旧暦の七夕が、星空が綺麗に見えると思うのですが!? ⇒星空情報(国立天文台)

お 盆
07月13日~16日
(旧暦で考えると?)

日本古来の“祖霊まつり”と“盂蘭盆会”が習合してできた

 7月13日から16日までの四日間、祖霊を迎え、まつり、送り返す行事を “お盆” “盂蘭盆会” “魂まつり” “精霊会”等といいます。今日では仏教行事中に吸収され、しかも“盂蘭盆”という呼称自体が仏教の「盂蘭盆経」からきていることから、仏教とともに日本に入ってきた風習と勘違いされていますが、元々は日本固有の祖霊信仰から発しています。

祖霊祭りとしての七夕

民間の七夕行事には、盆行事と通じるものが多く見出されることは、早くから民俗学の分野で注目されていました。
  •  七夕を先祖迎え――すなわち盆行事のはじまりの祓いの期間とみる意見があります。七夕に雨が降らないと疫病神が生まれる、不作になるなどといって、一粒でもいいから降ることを願う習慣が各地に残っています。これも後にひかえる祖霊まつり(お盆)に入るにあたっての“清めの雨”との信仰から導き出されたものと考えられています。

日本古来の祖霊信仰では祖霊が地獄や餓鬼道で責苦にあっているなどという観念はありませんでした。 

中 元 お中元
07月15日
(旧暦で考えると?)
 道教では、1年を三つに区切り、その最初の日に太乙(タイオツ)という最高神をまつり、自らの罪をあがなう行事を行っていました。この三つの区切りとは、、1月15日の“上元”7月15日の“中元”、10月15日の“下元”です。・・・。
 これが日本に入ってくると、贖罪の日という観念は薄れ、上元は小正月に中元は盂蘭盆会に吸収され、節日の一つになりました。そして上元、下元はいつの間にか忘れ去られ、中元だけがお盆の贈答という形で今日に生き残ったのです。
薮入り
01月16日・07月16日
(旧暦で考えると?)
 かって奉公に出ていた丁稚など奉公人が、公休日として故郷に戻ることを許された日。薮入りという言葉自体は忘れ去られても、お盆に里帰りする習慣は残っています。
八 朔
08月01日
(旧暦で考えると?)

八月の朔日(ついたち)なので“八朔(はっさく)”

 徳川家康が駿河から江戸に入府したのが8月1日というので、八朔は幕府の重要な祝日とされ、この日に主従関係を確認しあい、強化する意味合いで贈答が行われました。将軍家からは朝廷に贈り物をするのが習わしでした。明治以降今日では、八朔の贈答はお中元に吸収されています。

学制発布記念日
08月02日
 明治5年8月2日、太政官布告により、下等小学4年、上等小学4年の学制が定められたのを記念して設けられました。ただし、これは義務教育ではありませんでした。小学校が義務化したのは明治19年の“小学校令”から。尋常小学校4年、高等小学校4年の4・4制で、尋常小学校4年間を義務教育と定めました。明治40年には、尋常小学校6年、高等小学校2年の6・2制に改編。昭和22年の“学校教育法”から、現行の小学校6年、中学校3年で、ともに義務制になりました。 
文化財保護法施行記念日
08月29日
 昭和24年1月26日の法隆寺金堂焼失を契機に制定されたのが、“文化財保護法”で、昭和25年8月29日から施行されました。記念日は、その翌年から設置されています。
防災の日
09月01日
 大正12年9月1日関東大震災を教訓に、防災に対する心構えを作ることを目的に、昭和35年に設けられました。 
秋のお彼岸
 “春の彼岸”に対して“後の彼岸”をいう。9月21日頃から1週間が期間。 秋分の日をはさむ前後三日間が、“秋のお彼岸”で、秋分の日を中日というのは”春彼岸”と同じ。一般に“彼岸”といえば春のそれをさすので、秋の彼岸を“後の彼岸”とことわる場合もある。 
 重 陽
09月09日
   陽数(奇数)の九がふたつ重なる“重陽”九月九日を“重陽の節供” 七世紀頃には日本に伝わり、やがて公家から武家社会に広がったそうです。この日は長寿を願う祝日でした。(旧暦の方がしっくりしますが?)
動物愛護週間
09月20日~26日
 アメリカで起こった運動で、日本では昭和2年からスタート。戦時中中断しましたが、戦後復活しました。秋分の日を中心に一週間行われています。 9月20日~26日
空の日
(航空日)

09月20日

 明治44年9月20日 山田式飛行船が帝都一周飛行、滞空時間一時間を記録しました。航空思想の高揚と技術の発展を願って昭和15年に設けられました。戦後GHQの航空禁止令により中断しましたが、昭和28年から復活しました。 

   (参考資料 五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用させてもらいました。)

空の日 ⇒ 国土交通省航空局

敬老の日
09月第3月曜日
  昭和26年に“としよりの日”の名称でスタート。 昭和38年、“老人福祉法”制定を契機に翌39年から、“老人の日”と改められました。41年より“敬老の日”の名称のもと、国民の祝日に加えられました。
法の日
10月01日
 法の尊重、基本的人権の擁護、社会秩序確立の精神の高揚を願って、昭和35年に制定されました。
 これとは別に、昭和40年に制定された“世界の法の日”(9月13日)があります。これは昭和36年の“法による世界平和に関するアジア会議”で日本が提唱し、その後の“法による世界平和に関する世界会議”で採択されたものです。
 
共同募金
10月01日~12月31日
 昭和22年、フラナガン神父の提唱によりスタートしました。弱者救済、助け合い精神の高揚、明るく住みよい町作りが、この運動の乃目的です。(「五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方」より)

⇒赤い羽根共同募金

労働衛生週間
10月01日~07日

 労働環境の整備、向上を目指す週間で、昭和25年、労働省の主唱により実施されています。

⇒中央労働災害防止協会

国際文通週間
10月09日を含む一週間
  1957年(昭和32年)カナダで開催された“第14回万国郵便連合大会”で採択されました。 10月9日は、万国郵便連合会の創立記念日で、これを記念し、また文通を通じて国際間の文化交流、コミュニケーションを活性化し、相互理解と向上をはかるというのが同週間の目的です。

日本郵便

電信電話記念日
10月23日
 日本発の電信は明治2年8月19日、横浜の弁天燈明台役所と本町通り裁判所を結んで行われた実験。ついで、9月19日には、本町通り裁判所内に電信機役所が設置され、東京・横浜間の公衆電信線工事がスタートしました。この日が新暦の10月23日に当たっていたため、電気通信省が発足した昭和25年、23日を電信電話記念日としたものです。
 
国連の日
10月24日
 国際連合憲章が発足した1945年(昭和20年)10月24日を記念して設けられた日です。このとき日本はまだ国連に加盟しておらず、昭和27年の加盟申請はソビエトの拒否にあい、退けられました。参加が認められたのは、昭和31年以降です。
 
原子力の日
10月26日
 日本発の原子力発電所が成功したのが、昭和38年10月26日のこの日。これを記念して翌年から設けられました。原子力利用に関しては、国内外を問わず、その安全性に対する不安感が根強く、したがってこの記念日に対する評価も、人により差があるようです。
 
読書週間読書には緑茶
10月27日~11月9日
 終戦まもない昭和22年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。

⇒社団法人 読書推進運動協議会

世界勤倹デー
10月31日
 1924年、イタリアのミラノで開催されていた国際貯蓄会議の最終日に、この日を「世界勤倹デー」とすることが決定された。
参考資料 五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用させてもらいました
   行事 冬 雪  陰暦 十月 初冬 ・ 十一月 仲冬 ・ 十二月 晩冬
読書週間読書には緑茶
10月27日~11月9日
   終戦まもない昭和22年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。 そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。

⇒社団法人 読書推進運動協議会

教育文化週間  この週間は、11月3日の「文化の日」を中心に、教育・文化に関する諸行事を全国的に開催し、我が国の教育・文化に関して,広く国民の皆様に理解と関心を深めて頂くとともに、その充実振興を図るため、昭和34年に設けられました。
文化の日
11月3日

 
1946(昭和21年)に日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視しているということで、1948年(昭和23年)公布・施行の祝日法で「文化の日」に定められた。日本国憲法は半年後の1947年5月3日(憲法記念日に施行されました。

太陽暦採用記念
11月9日

 
明治維新(1868)によって樹立された明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されました。 “国立国会図書館 日本の暦”から引用
 
酉の市
商売繁盛を願う商人などでにぎわうお酉さまの縁日。今でも熊手を買う人は多い。

 鷲明神(オオトリミョウジン)の祭礼の日が11月の酉の日で、“初酉”・“二の酉”、年によっては“三の酉”まであります。“酉の市”とは、酉のマチがなまったもの。マチは、祭りのこと。

七五三
十一月十五日

 三歳の女児、五歳の男児、七歳の女児が、氏神に感謝と守護を願うために参詣する行事で、今日のように日を決めてお宮参りをするようになったのは近世から。盛んになったのは明治以降とされています。
 三歳、五歳、七歳になったお祝いの行事は、古くからありました。ただ、いつ行うかは定まっておらず、正月などの吉日を選んで行っていたようです。それが江戸末期には11月15日に固定され、お宮参りをともなうようになりましたが、農村部では一般に七五三という形でこの日氏神に詣でる習わしはなかったといわれています。

《髪置きの祝い》 三歳になった祝い。
それまでそっていた頭に頂髪を置くところから“髪置きの祝い”

《袴着の祝い》 五歳の祝い。
初めて袴をはいたのでこの名があります。男女とも袴をはいていた時代は性別にかかわりなく袴着を祝いました。

《帯直しの祝》 七歳の祝い。
紐でしばった着物から、帯をしめる着物に変えて祝うので、“帯直し”という。これは女子に限りません。

 かって日本には七歳になる前の子供を社会(共同体)の構成員に数えない習わしがありました。おそらく生存率が非常に低かったところから、七歳未満の子が死んだ場合、届け出もせず、本葬をしないことも多かったといいます。また、人別帳への登録も七歳からというのが一般的でした。そのため七歳になった祝いというのは特に大切で、神の子から共同体の一員になったことを祝ったものです。

勤労感謝の日
十一月二十三日

 
かって新嘗祭(ニイナメサイ)として、その年の新穀を天神地祇に捧げ感謝した祭日でした。1948年(昭和23年)以降、勤労感謝の日と名称を改め、国民の祝日の一つに加えられました。
 
ペンの日
十一月二十六日

 
1965年(昭和40年)、日本ペンクラブ創立30周年を記念し、創立日の11月26日(1935年 昭和10年)をペンの日としたものです。 ちなみに国際ペンクラブの創立は、1921年(大正10年)だそうです。
 
参考資料 五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用させてもらいました
年末年始 行事 サンタ  雪だるま
映画の日
十二月一日
 日本発の映画上映は明治29年。誰が、何月何日に、どこでという点では諸説があり定まっていませんが、11月末から12月末までの期間という点では、ほぼ一致しています。それで昭和31年(1956年)に、覚えやすい12月1日を記念日と定めた。
煤払い(すすはらい)
十二月十三日

 
清浄して歳神を迎える準備を整えるための準備。 今でいう年末の大掃除。 江戸時代12月13日に、幕府本丸の掃除が行われていたことから民間に定着しました。
冬至と
クリスマス

十二月二十二日・二十五日

 
クリスマスは、もともとは冬至祭だっただろうといわれています。冬至の祭りがキリストの誕生日にすりかえられたのは、キリストの死後、325年後ニケア会議で定められたといいます。

 今日の暦(太陽暦)も、冬至が基点になっています。ただ、キリストが12月25日に生まれたとして、(真実ではなさそうですが)ユダヤの習慣では、生後八日目に“割礼”の儀式を受け、以後、神の庇護を得ることになっているため、12月25日から、数えて、八日目を新年(1月1日)とした(『暦と占いの科学』 永田久)。
 
歳暮と大晦日

歳暮とは、“年の暮れ”。お歳暮とはこの年の暮れの贈答品のこと。

  晦日とは30日のこと、つまり月末。12月末日は一年の締めくくりの日で、大晦日。  “大つごもり” “除夜”などの別称もある。 

お歳暮

一年間のお世話を謝し、変わらぬ交誼を願う。古くは歳神への供物でした。

御中元と並ぶ相当の年中行事!
 
今日では、仕事先や上司など世話になった人に対する贈答が主流になっていますが、昔は、家族や、親戚縁者への歳暮は欠かせませんでした。 特に嫁の里方には必ず贈るのが慣例でした。また、昔からの慣習で、正月に必要な食料品を贈りました。

家族との団らん、お友達との絆を大事に!!

いつと定まった日はありませんが、27、8日までに届くように贈るのが習わしです。昔は持参が、ほとんどでしたので、27日頃から晦日までを歳暮といいました。

年越しそば  「細くて長く生きられますように」と、縁起を担いで食するのが、年越しそば。『運そば』とも言います。
  大晦日は、商家にとっては繁盛を極めるとき、この夜は落ち着いて年取りの膳に向かうことが出来ないことから、手っ取り早く胃に流し込めるそばを食したそうです。
 
年始・年賀

年頭の挨拶は古くからの日本の習慣。年始を書状に変えたものが年賀状

 年始
 
年始の習慣は古く、七世紀には公家社会ですでに行われていたことがわかっています。ただしこの場合の年始とは新年の祝賀のことで、主家や本家に集まり、神とともに新年を祝う行事を指しました。時代が進むにつれて年始の祝宴は年始挨拶に変化し、江戸時代には上は幕府から下は町人まで今日の形に近い年始回りの形式が定着しました

 年賀状
  書状をもって年始の挨拶にかえたものが年賀状です。十三世紀の武家社会で、すでに行われていたといいますが、民間に広がったのは郵便制度が発達した明治以降。

大福茶 お茶に梅

 新年に家族一同が、梅干、昆布などを入れて縁起を祝って飲むお茶。千余年もの歴史のある大福茶。平安時代、時の帝、村上天皇の病を癒し、空也念仏と共に京の街の流行病をも、鎮めたことからこの名前が付いたと伝えられています。それ以来、このお茶は、吉運をもたらすお茶として、一年の幸福を祈り、悪水、悪気を払う意味でお正月に服します。

雑煮とお節

 正月料理の代表は雑煮。お節はハレの日のご馳走を指した。

  “お節料理”は“節会(せちえ)”の料理のことで、季節の変わり目などの祭礼に供する料理を指します。つまりおせち料理は、正月だけでなくハレの日(神事など特別の日)に食べる非日常的なご馳走のこと。

 お年玉 雑煮に入れる餅―が本来の“お年玉”。 餅には、歳神のミタマが入っており、それを食べれば健康や福寿、豊かな稔りを得ることが出来るとする信仰から転じて、歳神の恩恵を家族や使用人にも分け与えるお年玉という慣習が生まれました。
鏡 餅

 鏡餅の語源は、平らな円盤状に作ったその形が古代の金属鏡に似ていることからと思われます

 米は、穀物〔粟、稗、黍(きび)〕の代表であり、正月は、その米に代表される穀物を人間にもたらしてくれる穀神(歳神としがみ)を迎える、最も重要な年中行事でした。
七 草

古来、公家・武家の間で公式の祝日としてさまざまな儀式が行われてきた五つの節供のうちの一つ。

   (すずな・すずしろ・ほとけのざ・なずな・はこべら・せり・ごぎょう)

 五節供 1月7日 3月3日 5月5日 7月7日 9月9日が、五節供 いずれも悪日(不吉な日)でした。悪日の難を避けるために、神に捧げ物を供え、除災の儀式をとり行う必要がありました。時節の節になる日に神に供え物をして災いを福に転じるように祈ったことから“節供”といいます。“節句”は後世の表記で、本来は“供”です。

 供若菜 7日に若菜を食べる習慣は、日本では、“供若菜(若菜を供(ぐう)する)”と呼ばれ、平安時代の公家の間で盛んに行われました。 一方、公家の行事とは別に、正月15日に七種の穀類をかゆにして食べる風習が民間にあり、この七草の羹と七種のかゆが混同して“七草粥”の行事が生まれてとされています。 

鏡開き(蔵開き)

 
正月の鏡餅を下げ,砕いた小片を雑煮や汁粉に入れて食べる祝い。主として1月11日の行事。武家では甲冑を納めた櫃を開く具足開きが,町家では蔵開き,帳祝いが行われ,鏡餅を下げて主従や家族どうしで共食し,互いの関係を密にした。農家でも田打正月,鍬初めなどといって田畑に初鍬を入れ,同時に雑煮や汁粉を食べた。
 ともあれ,この日に鏡餅を下げて大正月に一応の区切りをつけ,新たな仕事を開始しようとする観念があったのであり,現在でも行っている所は少なくない。
 
成人の日

 かっては地方ごとに特色のある成人式が行われていました。男の場合には成年式、女の場合は成女式といい、一人前の大人として社会の一員に加えてよいかどうかを試すための儀式・行事が必ずセットになっていたのが特徴です。たとえば山籠り、米俵などをかつぐ力試しなどです。
 これらの風習には、大人としての資格を共同体の新メンバーに教え込むという意義がありましたが、今日の成人式では、そうした意味合いはほとんど失われ、振袖など華美な衣裳を競い合う日となった感すらあるのは残念なことです。

 参考資料 五節供・二十四節気年中行事のしきたりと祝い方。 著者 藤巻壬彦 から引用させてもらいました

二十四節気は、暦と行事で⇒      なぜ急須でお茶!?を、薦めるか!! ⇒一口メモ

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